調理部だより2010-06

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本日も沢山のお客様に、はなぶさ旅館をご利用賜りましてありがとうございます。従業員一同、心よりおおmてなしさせて頂きます。

二十四節気 芒種

六月六日。稲谷麦などの穂先のある作物が生育したる候。田植えの時期で農家は最も忙しい。又、麦野収穫時期でもあり「麦秋」というきれいな言葉で言い表わします。

二十四節気 夏至

六月二十一日

太陽が横経九十度の最も高い夏至点に達する日で、北半球では昼が最も長く、夜が最も短くなる。この夏至を中心に約三十日から四十日間梅雨となります。梅の実が熟し、春から夏の天候に移り変わるこの時期我が国固有の季節現象であります露が始まります。

次第に高くなってくる太平洋高気圧と大陸の高気圧にはさまれた日本付近は気圧の谷に入り、太平洋方面からの水蒸気を多く含んだ暖気と、大陸方面からの乾燥した冷たい空気が接して梅雨前線を形成します。これがオホーツク海方面の優勢な高気圧に圧迫されて列島に停滞するため雨の日が多くなります。気温に十五度、湿度八十パーセント以上ともなればジッとしていても汗ばみ、息も苦しくなります。

しかし、この時期が空梅雨だったりいたしますと農作物の収穫に大被害をもたらします。

古来、六月は五風十雨の季節で、五日目に風が吹き、十日目に雨がふればその年は五穀豊穣が約束されると言われて参りました。緑いよいよ濃く、夏の到来を告げるこの雨も天の恵み、地の栄えに又、感謝致します。

鮎。 解禁

「春生じ、夏長じ、秋衰え、冬滅す。」これは、鮎の一生を表わした言葉です。それぞれ氷魚、香魚、錆鮎、年魚の字をあてます。田に水を引く「水の日」い狩野川鮎漁解禁です。

鮎は川魚の王として万葉時代から賞味され、釣りや鵜飼などによって漁獲されました。その昔、神功皇后が戦勝祈願の為に釣をして占ったおりに鮎が釣れたとの故事から魚へんに占いを合わせたとの伝説があります。

秋、川の下流の浅瀬で孵化した幼魚は、海に下り冬は海中、に生息してよく張る六~八センチの大きさになります。この若鮎は氷魚と呼び、川を遡り、夏の間は上流で育ち、二十~二十五センチに発育して秋には川を下ります。

この頃を落鮎と呼び、体色が産卵のため赤味がかってくることから●鮎とも呼びますが、やがて河口の砂礫に産卵して一生を終えます。一年が一生であることから年魚と呼びます。

「伊勢の海人の朝な夕なに潜くとふ鮑の介の片思ひにして」万葉集

アワビは、産卵期の前が食べ頃です。初夏からこの季節特有のうまみが出て旬の味となります。刺身はもちろんの事、水貝、酒蒸し、塩蒸し、バター焼きと調理法も様々です。

どれにしてもそれぞれの美味しさが味わえます。当館の伊勢エビと鮑のコースメニューご賞味下さい。

調理長 出口晴雄

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調理部だより2010-05-05

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感謝
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二十四節気 立頂

五月五日、太陽が黄経四十五度のときにあたり、春景も色あせ、木々の新緑の美しい爽やかな初夏の気が立つ候。

二十四節気 小満

五月二十一日、陽気高調しつつあり、万物ほぼ満足を得る候、とありますが、本年はおもいがけなく例年にない春先の凍霜害と冷雨の多い年となり青鮮野菜の生育が悪い為、春キャベツなどの青物野菜の値段が高止まりとなっております。又、四月下旬に行われました、静岡の新茶初取引でも凍霜害の為、例年の三割程度の出荷量しかなかったそうです。

いつもご利用頂いております、静岡県東部地区の茶業農家の皆様には、心より励ましの言葉を送らせてて頂き度く思います。

端午の節句

こどもの日で知られる五月五日は単語の節句でご節供の一つであります。古来上己(三月三日)を女子の節句とするのに対し、端午の節句は男子の節句としました。菖蒲や蓮を軒に吊るすので、別に菖蒲の節句といいます。

まっすぐにのびた剣状の菖蒲は尚武に通じ、特有の芳香は邪気を祓うと信じられ、古くから信仰の対象とされてきました。根茎は健胃剤、神経痛、リューマチに効くとされています。男の子は、菖蒲を結んで兜や錺(かざり)を作り、それを頭にのせて菖蒲湯に入ると、一年間無病息災で暮らせると信じられていました。

軒下に菖蒲と蓮を吊るせば、邪気を祓って天災を防ぐともいわれております。菖蒲杯といって酒に浸せば不老長寿となり、根を刻んでご飯に混ぜれば、すばらしい香味が楽しめます。

江戸の中期以降、武家にらって甲冑、武者人形などを飾り、庭先には幟旗(のぼりばた)や鯉幟を高く立てて、男子の成長を願う習わしとなりました。

鯉は中国の黄河の上流にある竜門の滝を登って蛟竜になることから、恋の滝登りは立身出世の例えになり、かわいい我が子が健やかに成長して出世を望まぬ親はなく、江戸中期より鯉幟りをつけて初節句に高くかかげ、子供の成長を祝う慣習となりました。

又、粽を食べるようになったのは、中国は楚の国の忠臣、屈原が水中に身を投じて、没したことを悼み、蛟竜のきらいな陳樹(おうすのき)の葉で米を包み、五彩の糸をかけて水中に沈めたことに由来すると言われています。

我が国には平安以降に伝わり、屈原の命日である五月五日に粽を食べるようになったそうです。柏餅が何時の頃より食べられるようになったか定かではありませんが、柏の葉は「炊葉」といって、古来から食物を盛る最初の器とされておりました。

柏の葉には多量のタンニンが含まれていますので、殺菌力があり、香気は邪気を祓うと信じられておりました。

回に青菜山ほとどぎす初がつお

花の敬るのを待って●●●のように、人花の庭先や軒下に小手鞠、卯の花、藤の花、菖蒲など一斉に花が咲きます。この辺りの野山には、鶯の若鶏や鶏、コジュケイ等が多くその鳴き声姿で初夏の訪れを教えてくれます。

山口素堂のこのあまりにも有名な句は五感にぐっと響き渡ります。もう一方、海の主役初鰹は、今年、なぜか不漁とのことで、水産庁より多併用方面に調査船が出港したとの新聞記事がありました。

藍縞の魚 姶より値が高し

江戸時代の川柳にあり、この記事初ガツオの値段は姶の着物より高かったそうです。初物好きの江戸っ子は、女房を質にいれても食べたいというほどの初ガツオを好んでいたようです。カツオのタタキに生姜、葱、ニンニク、ポン酢で一杯、又は白飯、お茶漬けといいですね。

その眼●脂肪に神経細胞や臓器の機能を活性化させるDHA(ドコサヘキサエン酸)が含まれており、ヘルシー食材としても見直されています。

調理長 出口晴雄

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調理部だより2010-02

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感謝
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二十四節句 立春
陽暦二月四日、節分の翌日が立春です。陰暦では一年三百六十五日を二十四節気七十二候に分け、それを暦法上の重要な基準とし、季節を定めるのに重用したそうです。立春はその二十四節気の一つで、暦の上ではこの日から春とはなりますが、一月二十四日の大寒の日より、二月四日の立春のこの日までは一年で一番寒いと言われております。陰暦によった昔は立春が新年になりました。俳句の季語には、立春と元日を含めて、今朝の春、今日の春などと詠ったそうですが、現在では立春は、春立つ、春来たると詠うようになりました。

二十四節気 雨水
二月十九日、寒さもやわらぎ雪解け水や雨水がぬるむ候、土中をうるおい草木が芽生える頃となります。

初午(本年は二月一日 大安)
お稲荷さんのお祭りに、二月の最初の丑の日に行われる「初午」の祭りがあります。「初午詣」「稲荷詣」といえって、全国各所のうなり神社で行われる祭礼には沢山の人々が訪れます。このお祭りは、伏見稲荷大社が和銅四年(西暦七百十一年)二月なのか壬午の日に鎮座されたことに由来すると言われます。稲荷神社には五穀を司る倉稲荷魂神が祭ってあり、この神様はもともと農耕の神(田の神)でありました。春の初めに山の神を迎えてたの噛みとする農耕儀礼が各地で行われ、そのとき、山の神様を迎えに馬を連れて山へ登るので午の日を選んだと伝わっております。伏見のお稲荷さんには「千本鳥居」といわれる赤い鳥居が隙間なく林立しておりまして、この赤色が豊作をあらわす色とも言われております。「稲荷」の呼称は稲成りからきたと言われ、収穫時に稲を方に荷なって神に捧げたので「稲を荷なう」の文字が用いられるようになったそうです。五穀豊穣を祈願する農耕の神様でしたが、田沼意次が将軍の側用人から老中へと異例の出世をしたのは居宅内に稲荷を祭って、その加護を受けたと噂され、武家がそれに倣って小司を設けて屋敷神としたり、町家の商人達が商売繁盛、福徳、開運をもたらす神として祭ったりするようになって人々の暮らしの中に取り込まれてきました。又、お稲荷さんと言えば、狐です。ウカノミタマの別名「御選津神」の「三狐(津)神に由来すると言われておりますが、狐を田の神の先触れであるとみたからとも伝わっております。尚、キツネの好物は赤飯と油揚であります。

河津桜
伊豆の東海岸に東伊豆町河津があります。かつては鄙びた温泉地で、古くは曽我兄弟の父、河津三郎祐泰の荘であり、昭和の初め川端康成の「伊豆の踊り子」で脚光を浴びました。そして、この地が再び脚光を浴びる事となったのは河津桜です。平成十年、NHKの「小さな旅」に取り上げられ、その年に一挙に四十万人もの人が観桜ツアーに訪れたそうです。翌十一年から百万人、以後毎年河津のほとりは多勢の人でにぎわっています。このオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配の新種は、元々小峰桜と呼ばれておりました。
「桜のルーツ」飯田勝美 様(故人)
昭和三十年頃、飯田勝美氏は河津川のほとりで桜の若木をみつけて自宅の庭先に植えました。その桜は中々花が咲かなかったそうですが、昭和四十年頃より少しずつ花をつけ始め、その花の色が辺りの桜の花よりも違ったきれいな色だった様です。この桜が年々花をつけ、時には一月末から一ヶ月近くも咲いたそうです。勝美氏は初めてこの花をみて「築山の小さき峰や寒桜」の句を残して逝去されました。小峰は飯田家の屋号でありました。昭和四十九年三月九日、「町の木」河津桜と正式名称されました。

調理長 出口晴雄


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調理部だより200911

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感  謝
本日もはなぶさ旅館、ご利用賜りありがとうございます。従業員一同心を込めておもてなしさせていただきます。
霜月
霜がおりるので霜降月といい、略して霜月になったそうです。この時期、日本列島は移動性高気圧の通過頻度が増し、快晴の日が多くなります。

一方では、東北地方北部や北海道の日本海側では早くも雪のたよりが届きます。
十一月上旬にはバイカル湖を中心とした大きな高気圧があり、アリユーシャン方面洋上には低気圧が発生する、いわゆる西高東低の冬型の気圧配置となり、強い北西の風が吹き、山地には霜が降りるようになります。

山の頂きではじまった紅葉は日を追って麓へと移動していき、山は雪でも麓は紅葉、といった風情が楽しめるのもこの時期ならではと思います。木々の紅葉は朱色、紅色、えんじ色と様々な彩りをなして参ります。
二十四節気

立冬
十一月七日、太陽黄経二百二十五度のときで、この時より冬に入ります。陽光も次第に弱くなり、冬の気立ち始めて朝晩の冷え込みも強まるとあります。
小雪
十一月二十二日、冬の気はやや進み陰晴定まらず遠山の頂に冠雪が見られ、北国からは初雪のたよりが届くとあります。又、「酉の市」があり、十一月の酉の日にあたる大鳥神社のお祭りであります。

大鳥さんは武家の武運長久を祈る神様でしたが、浅草界隈には花柳界、料理屋などの商売が多く、いつの頃からか、商売繁盛の開運の神とされ、福熊手を縁起物として毎年買い替える習慣ができました。

三の酉まである年は勢いが有り、火事が多いといわれております。因みに本年は二の酉です。
七五三の夜
十一月十五日、男子は三歳・五歳、女子は三歳・七歳を祝います。この行事が始められたのは、江戸時代中期以降のことといわれています。

当日は新調した衣服を着て氏神様にお参りして、祝い物を贈られた親戚、知人に千歳飴を持って廻礼致します。
髪置
その昔、男女ともに頭髪は剃っておりました。三歳の十一月十五日初めて髪を伸ばす儀式を行いました。すが糸でつくった白髪のかつらをかむらせ、髪を櫛や笄でかく真似をし、のちに氏神様に参詣致しました。
袴着
男児が五歳になってはじめて、はかまをはく祝です。昔は、十一月十五日、親族の中から選ばれた袴親が、袴の紐を結んではかせ、氏神様に参詣致しました。
帯解(おびとき)
女児の七歳のお祝い。十一月十五日に着物のつけ紐を除いて、初めて幅広の帯をしめ、やはり氏神様に参って、親族を招き祝宴致します。

七五三のお祝いの原型といわれております。当館にてお祝いのお料理をご用意致しております。是非、ご利用賜れば光栄に存じます。
調理長 出口晴雄

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調理部だより200910

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感  謝
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白  秋
空高く、野山紅葉し、五穀が実り、山海の幸も滋味豊富な秋の到来です。
中国の五行思想に、四季をそれぞれ青春、朱夏、白秋、玄冬と表して人生になぞっていたそうです。秋の色は白で清潔感を表しているとのことです。又、秋霜といわれる秋の長雨が明けます。

二十四節気 十月

寒  露
十月八日。朝露が冷気にあたって一段と冷たく感じる候。晩秋から初冬にかけて降りる露。菊の花が咲き、秋の深まりを感じます。

霜  降
十月二十三日、秋もようやく去り朝霜が降りる候。行く秋を惜しみ、冬の近い事を知らせる。とあります。
花に菊の花の他に秋の七草もあります。
萩、薄、桔梗、撫子、女郎花、葛藤袴等です。春の七草は食用になりますが、秋の七草は鑑賞用で花期も長いように感じます。

真伝の味、国清汁(こくしょうじる)

韮山の国清寺(こくせいじ)住職、黒岩徳翁禅師よりの直伝の味、国清汁(こくしょうじる)はおよそ六百年余の歴史があると言われています。

鎌倉の建長寺が発祥の建長汁(けんちんじる)をもとに、しょうゆ仕立てではなく、味噌仕立てとして現在に伝わっております。
ダイコン、ゴボウ、ニンジン、コンニャク、トウフ、アブラアゲ、里芋等を胡麻油で炒め、だし汁を加えます。
味に深みを出すために米の研ぎ汁を入れるのが特徴です。もともとは、禅宗の修行僧の食事の一つで現在は日本精進料理の一品として珍重されております。
「国清汁シンポジウム」も開かれ、「伊豆の国市」の観光振興の名物となっております。
当館のお昼の食事処「とろろ家」にて調理販売しております。どうぞ、お気軽にお立ち寄り下さいませ。

大豆イソフラボン
納豆、味噌、豆腐など、日本人の伝統的な食事に欠かせない大豆。健康食品のエリートとして評価される理由の一つは、大豆イソフラボンという成分にあります。
大豆イソフラボンは女性ホルモンの一種、エストロゲンと構造が似ていると言われ、体内に入るとエストロゲン同様の働きをいたします。
その恩恵を一番受けるのが、更年期以降の女性だそうです。

更年期に入ると女性はエストロゲンの分泌が減り、骨粗鬆症や肥満、高脂血症などのリスクが高くなります。
大豆イソフラボンをとれば、これらの症状になりにくくなると言われております。又、治療に使うホルモン剤と違い、作用は弱く、がん一般を予防する働きも解明されつつあり、女性だけではなく男性にとっても心強い味方となります。

ふぐ始めました

この十月より、明年三月迄、好評のふぐ会席ご提供させていただきます。賞味してくださいませ。

調理長 出口晴雄

調理部だより090801

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8月の調理部だよりを掲載します

感  謝

本日もお暑い中、沢山のお客様にご来館賜りありがとうございます。従業員一同、心を込めておもてなしさせて頂きます。

土  用

土用は、春、夏、秋、冬の四季に有ります。立夏の前十八日を春の土用、立冬の前十八日を秋の土用、立春の前十八日を冬の土用、現在では土用と言えば立秋前の夏の土用を言います。七月二十日前後より十八日間、土用入りの日を(土用太郎)、第二日を(土用次郎)、第三日を(土用三郎)と称し、農家にとっては厄日として、この日の天候により作物の豊凶を占ったといいます。

そして、この土用丑の日を有名にしたのが、江戸期の科学者平賀源内であります。たまたま近所の鰻屋さんに頼まれて書いた「本日土用丑の日」という宣伝文句が功を奏して、当時より現代に至るまで「土用丑の日」は鰻を食べるという食文化に受け継がれています。又、夏バテを防ぐといわれている鰻の栄養価は高く、蒲焼百グラムの中に五百UのビタミンAがあり、肝にはその三倍のビタミンAが含まれています。

ビタミンAはがん細胞の分裂を抑える作用があるといわれ又、肝には百グラム中四・六ミリグラムの鉄分があり、体がだるくなったり、食欲不振になった時、その補給によいと言われています。DHA(ドコサヘキサエン酸)、EPA(エイコサペンタエン酸)といった青魚に多く含まれる栄養素もあります。万葉の大歌人、大伴家持が「石磨に吾れもの申す夏やせによしという言うものでむなぎ取り食せ」と書き記し、当日は栄養価値より鰻を食べたら元気が出ると体感していたのだと思います。又、「土用の蜆」は別格で、暑気を払って夏バテを防ぎ、黄疸にも功があるといわれています。

酒の肴に、蜆を熱湯にいれすこし口が開いたら笊(ざる)に上げ、しょうゆに酒と味醂を各一割程加え、レモン汁とだし汁で加減した中に浸し、冷たくして食す調理法もあります。

土用蜆母にも少し買むにけり 里野麦丘人
 
 
新・味しゃぶ会席

来る八月十七日よりお客様に大好評であります「味しゃぶ会席」のだし汁に、今や女性に大人気であります魚由来のコラーゲンを加え全く新しいスープに仕上げました。豚肉は、静岡の名産品であります「ふじのくにポーク」のロース肉遠州産「麦豚」のバラ肉を従来通り使用しています。

又、季節の野菜にも一工夫させていただきまして、味、食感、盛りつけ等全て前作以上の品が完成いたしました。「新・味しゃぶ会席」どうぞご賞味して下さいませ。
 
 
新・飛び級ステーキ会席

「新・味しゃぶ会席」と同様、来る八月十七日より、こちらもお客様に大好評であります「飛び級ステーキ会席」に、新たに肉の付けダレを数種類加えさせて頂きます。当館自慢の「胡麻味噌ダレ」「納豆醤油」「葱醤油」等、ご用意させて頂きました。「飛び級」と呼ぶ牛肉は、佐賀県産黒毛和牛を使用しています。

「飛び級の牛」の名のいわれは、A一~A四まであります、和牛の階級表の更に一ランク上位にあるA五と呼ばれる牛のことです。食肉業者の方々はだた単に「トビ」と呼ぶのでありますが、生産者の皆様や納入業者の皆様又、この黒毛和牛に敬意を表しまして、当館では「飛び級ステーキ」と呼称させて頂いております。

使用する肉の部位は、サーロインをステーキカットにして供させて頂いております。このお肉のリピーターのお客様も大変多くいらっしゃいます。新しい付けダレと供にこちらもどうぞご賞味下さいませ。
 
 
新名物 国清汁(こくしょう汁)

国清汁(こくしょう汁)は鎌倉の建長寺が発祥の建長汁(けんちん汁)を元に、韮山の国清寺(こくせいじ)の名前をとって「国清汁」と名付けられました。

国清汁はおよそ六百年の歴史が有ると言われています。この度、ご住職・黒石徳翁師より特別にご印可を頂きまして、当館の食事処であります「とろろ家」に於いて、八月一日よりお昼のメニューに供させて頂きます。国清汁は味噌仕立てです。

大根、ごぼう、人参、椎茸、こんにゃく、油あげ、豆腐等を胡麻油で炒め、だし汁を加えて更に深みを出すために「米のとぎ汁」を加えるのが特徴です。元々は、禅宗の修行僧の食事の一つで、現在では日本精進料理の一品として珍重されています。

調理長 出口晴雄

はなぶさ調理部だより

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文  月
 陰暦七月の異称。《涼月》などと異名もあるように、秋立つ感じが言葉にありますが、陽暦の七月では、今月よりが本格的な夏となり、八月のお盆明け頃まで暑さが続きます。

   お中元

 中国の伝説に、眉目秀麗な一人の青年に、王様の3人の娘が同時に恋をして妻となり、それぞれ一人づつ男の子を生んだ。王は、一月十五日に生まれた子供を上元一品という位にして天宮に、二番目に生まれた七月十五日の子を中元二品、地宮に、三番目の十月十五日生まれの子を下元三品にして水宮に任じてそれぞれ人間を災いから守らせたという。

中元の地宮は、人をこよなく愛し、罪を許す神となり、古い中国では、七月十五日を一種の罪滅ぼしの日として祭るようになり、中元の地宮神に全品を供えるようになったと伝えられえている。

このことが日本にも伝わり、七月十五日には孟蘭盆会の行事とも重なり、秀祖の霊を供養するとともに、父母に感謝の気持ちを表すものを持ち寄るようになったといわれています。日本人は、農作業の関係上、ひとつの区切りとして麦などの収穫に感謝し、やがて迎える秋の黄金色に実る米の豊作を祈願する意味で一族の者が集まって祖霊祭をする。

祖先の霊にうどんやそうめんなどを供え祖先とともに食事をするという意識が供養であります。農耕民族である日本人は本来、大家族であり、一族が本家に寄り集まって、それぞれ何かを持ち寄って会食する祖霊信仰が根底にあります。したがって、集まりに必要なものが野菜であり、魚鳥であり、麺や粉であります。

共同の食事で「持ち寄るもの」がしだいに「贈りとどけるもの」に変わっていきました。そうなると、必ずしも食べるものでhなくてよいことになり、衣料、履物、提灯、菓子などになり、中元に贈答する風習に生まれ変わっていきました。今日では、お中元に先祖をまつる祖霊信仰を探るのは困難ではありますが、もともと、物を持ち寄って先祖と会食をすることが中元の根源であります。

    鯵のおはなし

 以前に誌面にも書きましが、もう一度書かせていただきます。鯵は日本の近海に約五十種類が生息しているといわれています。皆様の食卓には種にマアジが上がると思われます。マアジもクロアジとキアジと二つのタイプがあり、キアジの方がアジが良く、市場価値も高いようです。アジは良質なタンパク質が二十%以上を超えて高タンパク、低エネルギーの上品でクセのない味わいを持つ魚です。

タンパク質には、グリ新、アランニン、グルタミン酸やイノシン酸を多く含みます。脂肪にDHA(ドコサヘキサエン酸)やEDA(エイコサペンタエン酸)などの不飽和脂肪酸を多く含み血中の中性脂肪、コレステロールを下げ、血液をサラサラにして動脈硬化、心臓病、高血圧の予防効果があるといわれています。

おいしさと栄養価、両方を兼ね備えた鯵、今が旬です。

調理長:出口晴雄

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感 謝

本日も沢山のお客様に、はなぶさ旅館御利用賜わり有難うございます。従業員一同、心よりのおもてなしをさせて頂きます。
立春大吉

陰暦では一年三百六十五日を二十四節気七十二候に分けます。それを暦法上の重要な基準として、季節を定めるのに重用したそうです。

立春も二十四節気の一つでありまして、小寒、大寒と続いた三十日が終わると、寒の明け立春となります。陽暦では、二月四日か五日で節分(冬)の翌日にあたります。暦の上では春でもこの頃が一番寒いと思われます。

歳時記など読みますと、陰暦によった昔は立春が新年にあたるので、元日と立春を含めて、今朝の春、今日の春などと詠ったのですが、現在ではその季題は元日のこととして、立春は春立つ、春が来ると詠う様になったようです。

続古今和歌集に収められた西行法師の歌“願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃”と詠っております。その大意は「かなうものなら、美しく咲いた桜の花の下で、花の盛りの春に死にたいものだ、そしてその春も、月が美しい二月の十五夜の頃が望ましい」となります。

法師の暮らした時代は、源平盛衰の時期にあたり、あいつぐ戦乱や災害、疫病の流行などを背景として人心乱れ、社会不安の中でひたすら生き続ける毎日だったそうであります。この歌の真意には、苦境であるがうえに努めて楽観的であろうとする師の哲学があり、民家の祈りでもあったと思われます。因に旧暦の二月十五日(望月)は、陽暦では三月十一日(満月)にあたります。

世界的な景気不況の話が連日各メディアで報道されていますが、こんな時期程先人の知恵を拝借して明るい方向へと顔を向けなければと思います。

今年の節分は万感の思いを込めて「鬼は外、福は内」と豆をまくつもりでおります。訪れる暖かい春風が皆様を包んで乗せて頂きます様にご祈念申し上げます。

守山の遊歩道
(桜公園)

伊豆の国市韮山の狩野川の渕に“さくら公園”があります。その横手にある小高い丘が北条政子で名高い、前北条の居館跡と伝わる守山です。

この歴史的な史跡が市によって整備され、頂上への遊歩道や公衆トイレなども新たに設置されました。

まだ寒明けの頃で早いのですが、三月も中旬を過ぎますと、桜の見ごろと相まって善き散策コースとなると思います。当館にてご案内申し上げます。是非御利用下さいませ。お待ち申し上げております。
余談ではりますが、夏になるとこの守山には“スズメバチ”が発生致します。花の見ごろが最適だと思います。

名残のふぐ

今冬は“ふぐ会席”を御利用頂いたお客様が例年になく多くございました。有難うございます。月次ではありますが、板前冥利につくと思います。この“ふぐ会席”三月一杯まで調理致します。名残のふぐご賞味下さい。

 
 
 
 

調理長 出口晴雄

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