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本日もたくさんのお客様にはなぶさ旅館ご利用賜りましありがとうございます。従業員一同お心よりおもてなしさせて頂きます。二十四節句 立春
陽暦二月四日、節分の翌日が立春です。陰暦では一年三百六十五日を二十四節気七十二候に分け、それを暦法上の重要な基準とし、季節を定めるのに重用したそうです。立春はその二十四節気の一つで、暦の上ではこの日から春とはなりますが、一月二十四日の大寒の日より、二月四日の立春のこの日までは一年で一番寒いと言われております。陰暦によった昔は立春が新年になりました。俳句の季語には、立春と元日を含めて、今朝の春、今日の春などと詠ったそうですが、現在では立春は、春立つ、春来たると詠うようになりました。二十四節気 雨水
二月十九日、寒さもやわらぎ雪解け水や雨水がぬるむ候、土中をうるおい草木が芽生える頃となります。初午(本年は二月一日 大安)
お稲荷さんのお祭りに、二月の最初の丑の日に行われる「初午」の祭りがあります。「初午詣」「稲荷詣」といえって、全国各所のうなり神社で行われる祭礼には沢山の人々が訪れます。このお祭りは、伏見稲荷大社が和銅四年(西暦七百十一年)二月なのか壬午の日に鎮座されたことに由来すると言われます。稲荷神社には五穀を司る倉稲荷魂神が祭ってあり、この神様はもともと農耕の神(田の神)でありました。春の初めに山の神を迎えてたの噛みとする農耕儀礼が各地で行われ、そのとき、山の神様を迎えに馬を連れて山へ登るので午の日を選んだと伝わっております。伏見のお稲荷さんには「千本鳥居」といわれる赤い鳥居が隙間なく林立しておりまして、この赤色が豊作をあらわす色とも言われております。「稲荷」の呼称は稲成りからきたと言われ、収穫時に稲を方に荷なって神に捧げたので「稲を荷なう」の文字が用いられるようになったそうです。五穀豊穣を祈願する農耕の神様でしたが、田沼意次が将軍の側用人から老中へと異例の出世をしたのは居宅内に稲荷を祭って、その加護を受けたと噂され、武家がそれに倣って小司を設けて屋敷神としたり、町家の商人達が商売繁盛、福徳、開運をもたらす神として祭ったりするようになって人々の暮らしの中に取り込まれてきました。又、お稲荷さんと言えば、狐です。ウカノミタマの別名「御選津神」の「三狐(津)神に由来すると言われておりますが、狐を田の神の先触れであるとみたからとも伝わっております。尚、キツネの好物は赤飯と油揚であります。河津桜
伊豆の東海岸に東伊豆町河津があります。かつては鄙びた温泉地で、古くは曽我兄弟の父、河津三郎祐泰の荘であり、昭和の初め川端康成の「伊豆の踊り子」で脚光を浴びました。そして、この地が再び脚光を浴びる事となったのは河津桜です。平成十年、NHKの「小さな旅」に取り上げられ、その年に一挙に四十万人もの人が観桜ツアーに訪れたそうです。翌十一年から百万人、以後毎年河津のほとりは多勢の人でにぎわっています。このオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配の新種は、元々小峰桜と呼ばれておりました。
「桜のルーツ」飯田勝美 様(故人)
昭和三十年頃、飯田勝美氏は河津川のほとりで桜の若木をみつけて自宅の庭先に植えました。その桜は中々花が咲かなかったそうですが、昭和四十年頃より少しずつ花をつけ始め、その花の色が辺りの桜の花よりも違ったきれいな色だった様です。この桜が年々花をつけ、時には一月末から一ヶ月近くも咲いたそうです。勝美氏は初めてこの花をみて「築山の小さき峰や寒桜」の句を残して逝去されました。小峰は飯田家の屋号でありました。昭和四十九年三月九日、「町の木」河津桜と正式名称されました。
調理長 出口晴雄















































